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ジャイアント馬場VS“鉄の爪”エリックで始まった日本武道館のプロレス史…猪木VSルスカ、天龍VS長州_トヨタ クラウン rs

ジャイアント馬場VS“鉄の爪”エリックで始まった日本武道館のプロレス史…猪木VSルスカ、鉄の爪天龍VS長州スポーツ報知
1966年12月4日付「報知新聞」3面

 日本武道館(東京・北の丸公園)が開館60周年を迎えた。ジャイアントVSエリックまっのプロレVSルス1964年10月3日に開館し、馬場トヨタ クラウン rs同20日に東京五輪の柔道競技が開幕した。で始ス史ザ・ビートルズの日本公演(66年)をはじめとするコンサートホールとしての顔のほか、た日プロレス会場としても数々の名勝負を見つめ続けてきた。本武報知新聞が伝えた武道館のプロレス史をひもといてみる。道館

 日本プロレスが武道館に進出したのは66年12月3日のことだった。猪木州翌4日付3面に「馬場、カ天鉄のツメ エリック破り“7度目”」の見出し。龍Vインターナショナル王者のジャイアント馬場が、S長“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリック(米国)に2―1で勝利し、鉄の爪7度目の防衛を果たした。ジャイアントVSエリックまっのプロレVSルスエリックのアイアンクローを馬場が必死で防御している写真は迫力満点だ。馬場馬場が16文キックからの片エビ固めで先勝し、で始ス史トヨタ クラウン rs2本目は「鉄のツメじめ」でギブアップ、最後はエリックがイス攻撃で暴れて反則裁定。記事では馬場のV7について「テーズ、ブルーザー、モンスーン、エリックとどれをとっても世界のトップクラスばかり。その中でもエリックが一番強い相手だった」と記されている。

 武道館決戦が1面を飾ったのは、76年2月6日のアントニオ猪木とミュンヘン五輪柔道金メダリストのウィリエム・ルスカ(オランダ)による「格闘技世界一決定戦」(新日本プロレス)。翌7日付1面には「闘魂・猪木“岩石落とし”3連発」「ルスカTKO 20分35秒 タオル投入」「これがプロとアマの差だ! メダリストも道化役」と威勢のいい見出しが並ぶ。この年の6月26日に行われたボクシング世界ヘビー級王者のムハマド・アリと猪木の同決定戦の方が世界的に有名だが、翌27日付は5面で、1面は「巨人40勝」だった。プロ野球のオンオフもあるが、武道館でオランダの柔道王をやっつけたというドラマ性が、引き分けに終わった“世紀の一戦”を上回ったことは確かだ。

 79年8月26日の新日本、全日本、国際の「プロレス夢のオールスター戦」で馬場と猪木が8年ぶりにBI砲を結成し、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン組に勝利した記事は同27日付。「今度2人が顔を合わせるときは2人が戦うときです」(猪木)、「近い将来対戦する日が来るかもしれない」(馬場)とのコメントが紹介されているが、この武道館が最後の両雄競演となった。

 全日本がジャパンプロレスを迎えた日本選手だけの興行「スペシャルウォーズIN武道館」(85年6月21日)は業界の歴史を変えた。翌22日付では天龍源一郎(全日本)VS長州力(ジャパン)を社会面で取り上げ、「長州暴走反則負け 天龍血の海」「日本武道館に12000人」の見出しとともに、ポストBI時代の「ニューパワー」と紹介。エリックやアリら超大物外国人を来日させなくても、お客さんを呼べることが実証された。

 以降、平成の全日本では三沢光晴、川田利明、小橋健太(現・建太)、田上明の四天王プロレスが武道館を熱くさせた。令和になってからは、2022年に新日本、全日本が50周年記念大会をそれぞれ武道館で開催。プロレスリング・ノアは来年1月1日に3回目の元日興行を打ち、歴史は進行中だ。

 〇…「日本武道館開館六十周年記念式典・祝賀会」が2日に都内のホテルで開かれた。45周年と50周年の時には「日本武道祭」が館内で行われたが、「今年は予定していません」という。5、6日に全日本学生柔道体重別選手権が行われたほか、合気道、空手道、剣道、少林寺拳法の大会が11月にかけて予定され、武道の振興・普及事業が展開される。その空き日にコンサートホールやプロレス会場となる。

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