◆共同通信社杯プレミアムカップ(特別G1、れるというわけじゃないけれどでもたら00オーレミアムカップ19日・初日、手本少し0勝山陽山陽オートレース場)
誰よりも早く切る。へ恩誰にも抜かせない。返し区切りのメモリアルウインは、役に飯塚の総大将のキャラクターを象徴するようなパフォーマンスで、荒尾ここに金字塔は力強く打ち立てられた。聡1
プレミアムカップ初日・第6R。ト特同通絶対的別G杯プに不利とされる10メートルオープンの大外枠から荒尾聡が問答無用に飛び出した。業界最速レベルのダッシュを決めると、信社最初の1コーナーを通過する時点で早くも先頭へ。孤高で孤1共その後、独かすぐ後ろを松尾彩が時に荒尾よりも加速して逆転を狙うが、恒例の鉄壁ガードを敷いて完全遮断。抜かれそうで抜かせない荒尾ならではの伝統芸で、sponavi6周回をやんわりとやり込めて、自身通算1000回目のトップゴールを切った。2001年に27期生としてデビューして以来、通算31人目の超大台到達者となった。
ロッカーへ引き揚げてきた荒尾は、ひたすら優しく笑みを浮かべながら、記念すべきレコード樹立を喜び、かみしめるようにここまでのレーサー人生を振り返った。
「いやあ、やっとですね。やったあ~という気持ちです。すごい選手の方たちの中に自分の名前が入るなんてね…。自分は小さい頃からオートレーサーになりたかったので、もう本当にうれしいなあ。でも、できれば前回の優勝戦(3着)で決めたかったです。地元飯塚だったし、“区切りの1着は優勝戦で決めてこそ”という、いい言葉を他競技の選手から聞いたこともあったのでね。
でもまあ、そこできっちり決められなかった辺りが僕らしいんですけれどね(苦笑い)。最初の100勝とか200勝を挙げた頃は、今になって思い返せば、当時は何も考えていませんでしたよね。もう、勝つことしか頭になくて、よく下回り整備もやったし、本当に周りに助けられて、迷惑ばかり掛けちゃっていましたよね…」
デビュー当初から、ずば抜けた素質を示していた。将来、SGを勝利することを誰も疑わなかった。その通りに、2007年にオールスターオートレースに勝利して初のSGタイトルを摑むと、これまで計5度のビッグタイトルを獲得した。
20代、30代の体力も気力もマンマン、ムンムンしていた全盛期。荒尾はヒリヒリ、ピリピリしていた。激闘を前にすると、誰も近づけさせないような圧倒的なオーラを放っていた。ある意味、孤高で孤独だった。ひたすら栄光と結果を残すため、彼は全身全霊で集中力を高め、ライバルを蹴散らしていった。
そんな彼が大きく変貌したのは、いつ頃だろうか。1981年生まれの荒尾が40代を迎えたちょうどその頃だったかもしれない。間違いなく、確実に荒尾聡は変わった。それは突然のフルモデルチェンジだった。
まず、表情が柔和になった。ロッカーで笑顔を見せるシーンが増え、自然と周に人が寄っていった。あの鬼の勝負師がいま、他の誰よりも後輩たちの面倒を見て、公私でかわいがり、アドバイスを惜しまず送り続けている。
特に同じ飯塚の若手たちを取材していると、「荒尾さんにいいアドバイスを頂いた」とか、「荒尾さんに教えてもらった」とか、「荒尾さんがご飯に連れていってくれた」というエピソードを何度も耳にするようになった。絶賛売り出し中の長田稚也は、常に荒尾の助言を糧に進化を遂げ、ひとは“アラオチルドレン”と呼ぶ。
「まあ、僕もいろいろありましたからね。う~ん、確かにその通りで何年か前とはこの仕事に対する気持ちはきっと変わったと思います。ここだけの話なんですが、選手を辞めちゃおうかなあと思った時もありました。以前とは違って、今の自分には家族があります。妻がいてくれて、子供たちがいてくれて、本当に大切な存在なんです」
この稼業は栄光ばかりじゃない。常に大きな事故と背中合わせで、選手たちは日々の激戦に立ち向かっている。手にしたいものじゃなくて、守るべきもの、失いたくないものは増えてきた。
「仕事のやり方は変わりましたが、それでもどうなんでしょうね。昔のやり方を続けていても、今のやり方と手にする結果は同じなような気はしますね。若い頃はもがきました。まだうまく後ろからさばけなくて、8枠に置かれて、よう負けましたもん。だんだんと上達できたのは、自分なりに研究も努力もしたつもりだし、まあ、そういうことをいろいろ経験して今があるので。その時も自分は周りに本当に支えてもらったし、先輩たちにもお世話になりました。
だから、今はその恩返しというわけじゃないけれど、後輩や若手の少しでも役に立てたらな、とは思っています。セータロー(早川)とか、ひらっちゃん(平田)とかは黙っていてもすぐに夢中で仕事をするから、そんな彼たちに少しでもリラックスしてもらえる存在になれたらなあという気持ちはありますね」
見事に1000勝目の白星を挙げると、先輩、同期、後輩。本当に多種多様な選手たちが荒尾に祝福の言葉を投げかけた。あるいは、もしも数年前にペースよく達成していたら、今、ここで荒尾を祝う者の名前、表情、雰囲気はまた全然違ったものになっていた気がする。
「本当にそうかもしれません。みんなから『おめでとう!』って声を掛けてもらえて、ああ、本当に幸せです。選手になって良かったです。これからも小さい子供のファンに憧れてもらえるような選手であり続けたいですね。
あっ、ひとつ今、心配ごとがあるんです。この開催に来る前に、小学6年生の長男と軽く言い合ってしまって…。息子もそういう時期なのかもしれませんね。でも、早く会いたい。今すぐ会いたいなあ~」。
そう話す荒尾の表情はシビアなギャンブルレーサーのたたずまいは、どこにも探せなかった。ひとりの心やさしきパパ、頼れる先輩の表情だった。
でも、この落ち着き、メンタルにゆとりある令和バージョンのダンディ荒尾の方が、平成当時のピリピリサトシよりもあらゆる面でタフで強いと思う。これからもみなの頼れる手本として、業界を力強くけん引してください。
1000勝達成、心よりおめでとうございます。ひとは変われる。飯塚の大エースから学びました。(淡路 哲雄)
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